皆様、こんにちは。この度、店内改装をしました。
そしてオーディオ機器も入れました。
実はマスターの私はオーディオが好きだったのです。
小学校の時の学研の付録のゲルマニウムラジオを作ったのに端を発して、中学校では並3とか高1の真空管ラジオを作りラジオ少年でした。
高校時代は受験勉強をそこそこにラジオの深夜放送を聴き浸ってました。ラジオで流れていたキースジャレットの『マイバックページ』に心打たれJAZZが好きになったのもこの時期でした。と言ってもキースジャレットと曲名を知ったのはずっと後のこととなりますが...
そしてオーディオ機器も入れました。
実はマスターの私はオーディオが好きだったのです。
小学校の時の学研の付録のゲルマニウムラジオを作ったのに端を発して、中学校では並3とか高1の真空管ラジオを作りラジオ少年でした。
高校時代は受験勉強をそこそこにラジオの深夜放送を聴き浸ってました。ラジオで流れていたキースジャレットの『マイバックページ』に心打たれJAZZが好きになったのもこの時期でした。と言ってもキースジャレットと曲名を知ったのはずっと後のこととなりますが...
アンプやスピーカーを作り、オーディオにハマリ込んで行ったのです。
その頃、某オーディオメーカーより全日本オーディオ・フェア(その後、オーディオエキスポ、更にその後、A&Vフェスタに名称が変更されました)での説明員のアルバイトの声をかけて頂き、翌年も含めて2回、某メーカーのブースで説明員を担当させて頂きました。
バブルの時期でもあり、各社よりいろいろなオーディオ製品が出展されていました。今の比じゃなかったのを覚えています。
就職をして、少しお金に余裕が出て、憧れていたJBL4343を買ったのです。なかなかバランスの良い音にするのに苦労しました。
スピーカー台、スピーカーケーブル、設置場所、etc...
あれこれと音の違いを試しました。今思うと楽しい苦労でした。
充実したオーディオ生活でしたが、結婚し、子どもが産まれると、オーディオ専用ルームも子どもの遊び部屋となり、オープンリールのテープデッキ、コンクリートの特注ターンテーブルで重装備のレコードプレイヤー、プリアンプ、腰が抜けるような重さのパワーアンプ、etc.. はダウンサイジングを余儀なくされました。
スピーカーはタンノイ・スターリングTW、アンプはアキュフェーズ・E-305、etc…
アナログレコードはCDへ。
しかし、子どもが大きくなるにつれ、オーディオルームはクローズとなるのでした。そして、オーディオ機器も手放しました。
あれから20余年、オーディオとは無縁の生活でしたが、ふとしたことからオーディオショップに入り、オーディオの世界に思いを馳せるのでした。